海水浴

『緑簔談(りょくさだん) 續』 初出明治21年(1888)
 『明治文学全集第5巻』 筑摩書房


著者名 : 須藤南翠(すどう なんすい)

出版年 : 昭和41(1966)年

請求記号:

  918
  メ
   5

須藤南翠(すどう なんすい)は、明治・大正時代の小説家、新聞記者。
安政4(1857)年~大正9(1920)年。

『緑簔談(りょくさだん) 續』 は、政治小説として位置づけられている。
『改進新聞』に掲載されたのち、明治21(1988)年に刊行された。
作中に大磯海水浴場の描写があり、小説に取り上げられるほど、海水浴が早くから人びとに受け入れられ、
流行っていたことがうかがわれる。

今中島は病ひを得つゝ医師の勧誘に海水浴を試みんとて、大磯なる濤龍館來りしなり。(略)
小淘綾の小磯の濱ハ古しへより名に聞こえたる勝地にて、相模の灘の灣(いりえ)に對(むか)ふ砂は青く
波に洗はれ、見渡す限りハ海にして、左りに繪の島蒼く彩り、右に富嶽の白く聳(そび)へぬ。
鴫立澤の苫屋(とまや)あり、高麗山の名丘あり、花水橋、虎が石とともに旧蹟たらぬにあらず、寔(げ)に
大磯や小磯の裏風光今も棄難(すてがた)きに、此の磯近く寄る潮には胃肺の病ひに特効ありとて、渚に遠く
柱を建て海水浴場を設けたれバ、病ひのあらぬ都人まで皆な大磯に遊浴し、忽ち繁昌昔日(むかし)に倍せり。
濤龍館の庭先より此の淸濱に立出たる中島、齋藤の二名士は、洗ひし砂の上を歩みて今海水に入らんとす。 

381頁~


『蘭學全盛時代と蘭疇の生涯』東京醫事新誌局 


著者名 : 鈴木要吾

出版年 : 昭和8(1933)年

請求記号:

 K28.1
  6
  


明治18(1885)年、日本初の海水浴場として大磯の地を選び、全国にその名を知らしめた松本順(良順)の生涯を描く。
27cm、288頁。号は蘭疇(らんちゅう)。

松本順は天保3(1832)年、蘭方医佐藤泰然の次男として江戸に生まれる。
父は長崎に留学し外科医として江戸で名を馳せたのち、佐倉藩に移り、藩医として出仕。
また私塾順天堂を開き、順もそこで蘭学、医学の手ほどきを受ける。
その後、父の友人で幕府御医師の松本良甫の養子となり、長崎でオランダ軍医ポンペの助手を務め、
西洋医学を究めるが、幕末の動乱に巻き込まれ苦難の数年を送る。
明治に入り、私立病院を開業したのち初代軍医総監となる。

順が海水浴の効用を知ったのは長崎時代であるが、その後沿海の適所を探し続け、大磯に辿りつく。
地元の人々の協力や明治20(1887)年の鉄道開通もあって、海水浴場大磯は大いに繁栄、
保養地としても全国有数の地となった。

順は明治23(1890)年貴族院議員となり、明治38(1905)年に男爵を授けられ、明治40(1907)年76歳にて
大磯町の自宅で逝去、墓は大磯町妙大寺にある。
本書の復刻版が大空社から平成6(1994)年、刊行。


『海辺の憩い 湘南別荘物語』 

著者名 : 島本千也

出版年 : 平成12(2000)年

請求記号:

  291
  シ
  

島本千也(しまもと かずや)は、元神奈川県立大磯高等学校教諭。
21cm、452頁、定価2100円(税抜2000円)、自家版。

別荘地、保養地、海水浴場としての地域形成史と、別荘所有者、保養客、湘南にゆかりがある人々などの
人物史を重ねた湘南の特性、地域論について述べる。
本文には、湘南の発見、別荘地・保養地としての湘南、湘南の主な別荘地を歩く、湘南のエピタフ(墓碑銘)、
海辺の憩いの各章に、鎌倉、稲村ガ崎、鵠沼、茅ケ崎、平塚、大磯、葉山、逗子等湘南地区と人物について
各項目で言及している。

第二章「湘南の主な別荘地を歩く」の「大磯-明治・大正の残る町」(181頁~)では、大磯町と
海水浴場提案者である松本順の関係について述べられており、海水浴場繁栄に至るまでの道筋について記述している。
また、巻末の参考資料には明治二十五年・二十六年の外国人別荘所有者、関東各地の別荘地、湘南の別荘族名簿を収録。


『元祖海水浴場・大磯 東京中のしゃれた奴らがやってきた』 

著者名 : 大磯町郷土資料館/編

出版年 : 平成22(2010)年

請求記号:

 210.5
  ガ
  

平成22(2010)年7月24日~9月5日、大磯町郷土資料館が開催した
「元祖海水浴場・大磯 -東京中のしゃれたやつらがやってきた!-」の展示図録。
30cm、15頁。
明治期に海水浴場として名を馳せ、著名人が別荘を建築し保養地として発展した大磯町の経緯を示している。

「明治時代の海水浴着」、「海水浴場としてのあゆみ」、「海水旅館・?龍館(とうりゅうかん)と海水茶屋」、
「大磯と歌舞伎の関係」、「別荘」に関して、展示内容を元に収録。
また、副題「東京中のしゃれた奴らがやってきた」は、フランス人画家ジョルジュ・ビゴー(1860~1927年)が
大磯の海岸を描いた作品名である。
その作品名の訳者で日本女子大学教授・及川茂氏が寄稿した「ビゴーが見た海水浴」も収録している。


『磯のかおり』 


著者名 : 大磯町

出版年 : 昭和59(1984)年

請求記号:

 K21.6
  2
  

編集は、大磯町観光協会。発行は、大磯町役場内。
22cm、95頁、図版あり。
明治18(1885)年、初代軍医総監・松本順により、国民の健康増進と体力の向上のため大磯照ヶ崎海岸に
日本最初の海水浴場が開設された。
本書はそれから百年の記念誌として発刊された。

当時、松本順が大磯海水浴場を宣伝するために公演させた「大磯曽我の対面」という芝居の錦絵が表紙カバーとなっている。
モデルは、歌舞伎役者の五代目・尾上菊五郎。
その他、松本順の謝恩碑・肖像、明治から昭和にかけての海水浴場に関する図版などが豊富に掲載されている。

本編では、松本順の孫である松本銈太氏をはじめとした計十三人が「大磯の海」をテーマに語る構成になっている。
また、昭和59(1984)年10月24日に、大磯町滄浪閣で行われた雑談会の様子を収録。
高島健二氏(当時の大磯町長)と竹永輝雄氏(昔海水茶屋経営)との会話の中で、海水旅館・?龍館が無くなった
経緯について触れられている。
享和3(1803)年から1984年までの年表も収録。
「大磯海岸に関すること」「町の様子」「社会の背景」の三点から年表がまとめられている。