名誉町民


名誉町民名:吉田 茂


『大磯随想』 


著者名 : 吉田 茂、吉田 健一

出版年 : 昭和58(1983)年

請求記号: 

  914
  ヨ
  

吉田茂は政治家。明治11(1878)年~昭和42(1967)年。外務大臣、貴族院議員、内閣総
理大臣、第一復員大臣、第二復員大臣、農林大臣、衆議院議員、皇學館大学総長、学校
法人二松学舎舎長などを歴任。昭和20(1945)年から大磯町西小磯418の邸宅を本邸と
し、晩年を過ごした。
吉田健一は翻訳者・文芸評論家。明治45(1912)年~昭和52(1977)年。吉田茂の長男。
本書は、『大磯隨想』、『遠雷蛙鳴』、『大磯淸談』、『父のこと』の4編を東京白川書院が吉
田茂の随筆集として昭和58(1983)年に出版。
『大磯随想』は、朝日新聞社発行の英文の年鑑『This is Japan』各号(昭和32(1957)年
~昭和37(1962)年)に英訳して掲載するための記事の原文。昭和37(1962)年刊。各項
は、『政治の貧困』、『思ひ出づるままに』、『海濱にて』など。当時の外交政策について、自
らの見聞に基づいた意見を発している。
『遠雷蛙鳴』は、各雑誌に掲載された吉田茂の寄稿及び対談等をまとめたもの。対談者
は、朝日新聞社出版局長の嘉治隆一、漫談家・作家の徳川夢聲ほか。
『大磯淸談』は、吉田茂と健一の親子対談。昭和31(1956)年刊。親子ならではの距離の近
さで侃侃諤諤と言葉の応酬が繰り広げられている。
『父のこと』は、吉田健一が父吉田茂について綴った随筆集。昭和42(1967)年刊。父の功
績を客観的に分析しつつも、親に対する愛情を垣間見ることができる。

名誉町民名:島崎 藤村


『町屋園の日々-島崎藤村とその周辺- 


著者名 : 大磯町郷土資料館/編

出版年 : 昭和63(1988)年

請求記号: 

  910.2
  シ
  

島崎藤村は小説家。明治5(1872)年~昭和18(1943)年。藤村は昭和16(1941)年、
道祖神の火祭りを見るため初めて大磯を訪れた。その後、東小磯にある一等の平屋を借り、
晩年の約2年半を過ごした。昭和18(1943)年8月22日大磯の自宅で脳溢血のため死去。
最後の言葉は「涼しい風だね」だと伝えられている。地福寺境内の一隅に埋葬された。
なお、著書については「大磯ふるさと往還」の「大磯ゆかりの文学者」を参照。
大磯町では、昭和48(1973)年4月20日に、生まれ育った馬籠(山口村)と青年期を
過ごした小諸市(小諸市)と姉妹都市を提携し、昭和50(1975)年、高橋誠一郎氏と共に名誉町民を贈呈した。

大磯町郷土資料館開館記念特別展『町屋園の日々-島崎藤村とその周辺-』の図録。
会期は昭和63(1988)年10月26日~11月17日。編集・発行は大磯町郷土資料館。
昭和63(1988)年10月発行。現在完売。20頁。内容は、大磯を通じて藤村とかかわった
人々を中心としており、肖像・書簡・藤村が利用していた店・藤村書・夫妻愛用の品々など、
多くの写真を掲載している。

名誉町民名:沢田 美喜


『混血児の母-エリザベス・サンダース・ホーム- 


著者名 : 沢田 美喜

出版年 : 昭和28(1953)年

請求記号: 

  S914
  1014
 坂西文庫

沢田美喜は、三菱本家岩崎久弥の長女として東京本郷に生まれ、外交官沢田廉三夫人として、
アルゼンチン・北京・ロンドン・パリ・ニューヨークに随行する。明治34(1901)年~昭和55
( 1980 )年。昭和23(1948)年大磯町にエリザベス・サンダース・ホームを創立、昭和28(1953)年
学校法人ステパノ学園を創立し、“ママちゃま”と呼ばれて多くの混血児たちの育成と教育に生涯を
かけた。著作は『黒い十字架のアガサ』『黒い肌と白い心』『母と子の絆』『歴史のおとし子』『私の歩んだ道』(共著)。

本書は、昭和22(1947)年、下りの東海道線夜行列車内で網棚に置き去られた嬰児の死体が発見
された場面から始まる。著者がその犯人と誤認されたこと、その嬰児が混血児であったことから、
「残された半生を、これらの混血児と運命を共にすることときまった」と記している。この混血児
たちは、当時駐留していたアメリカ兵と日本女性との間に生まれた子供で、捨て子が多発したため
社会問題となっていた。それからの日々は苦労の連続で、「血みどろの戦いがはじまった」とある。
まず、ホームの場所探し。岩崎家の大磯の別荘が財閥解体により物納寸前だったものを手元に戻し、
二人の子供を預かり「ホーム開き」をしたという。苦難の末に得たものは・・・。320頁。

名誉町民名:高橋 誠一郎


新編 虎が雨(慶應義塾大学出版会/刊) 


著者名 : 高橋 誠一郎

出版年 : 平成23(2011)年

請求記号: 

  K94.1
  14A
  

高橋誠一郎は経済学者、教育者、政治家。明治17(1884)年~昭和57(1982)年。慶応義塾塾長代理、
文部大臣、日本芸術院院長、東京国立博物館館長、国立劇場会長などを歴任。浮世絵の収集・研究
でも知られ、収集した1500点もの浮世絵は高橋誠一郎コレクションと呼ばれている。昭和54(1979)年、
文化勲章を受章。
大正4(1915)年より大磯町に居住。大正10(1921)年、大磯町王城山中腹に王城山荘を建築し、著作の
多くをその書斎で執筆した。
主な著作は『経済学前史』『重商主義経済学説研究』『浮世絵随想』など。

本書は平成6(1994)年刊行の随筆集の新編。216頁。日々の生活や坂田山心中、錦絵、吉田茂や安田
善次郎への追想など、大磯にまつわる随筆を集めている。また文中には高田保や獅子文六の名もあり、
同時期に大磯に居住した著名人との関わりがわかる記述も見られる。

名誉町民名:安田 靫彦


『安田靫彦の画と書 -大磯に在りし六〇余年- 


著者名 : 大磯町郷土資料館/編

出版年 : 平成元(1989)年

請求記号: 

  K72.1
  7
  

安田靫彦は、日本画家。明治17(1884)年~昭和53(1978)年。東京生まれ。 大正3(1914)年、大磯に転居。昭和40(1965)年5月、大磯名誉町民の称号が贈られた。昭和43(1968)
年、焼損していた法隆寺金堂壁画の再現模写を前田青邨と監修し、この年12月に六号壁画をほぼ仕上げた。
昭和53(1978)年、心不全のため永眠。墓所は大磯町の大運寺にある。
主な作品に「黄瀬川陣」など。

本書の編集・発行は、大磯町郷土資料館。26cm、50頁、図版あり。郷土資料館の開館一周年記念に際して、
発刊された図録である。
表紙は、本展でも展示された「富士秋霽」。画の左下には、旧伊藤博文邸(滄浪閣)内に設けられた五賢堂
が描かれている。裏表紙は、この五賢堂のスケッチである。
本書は、書画20作品と写生を掲載。当時の郷土資料館長・鈴木昇のあいさつをはじめ、関係者の安田靫彦に
関する思い出や回想も収録されている。また、年譜が9頁に渡って載っているとともに、参考文献も豊富に
記載があり、安田靫彦の事を知るための一助になっている。